中世の函館

2025年08月02日 スタッフブログ

北海道最古の文献記録は、松前藩の【新羅之記録】です。

 

記録には、15世紀以降の道南の出来事が記されています。

 

そこには、1457年(長禄元)に起こったアイヌと当時の道南地方に存在した

 

12人の和人豪族の館主との闘いが記されています。

 

戦いの原因は、1456年に志苔(しのり)の鍛冶屋村で起きた

 

和人の鍛冶職人がアイヌ人を刺殺した事件と言われています。

 

この事件を発端として、アイヌ人側は酋長のコシャマインを中心に

 

12人の和人の館に対して攻撃をすることとなりました。

 

その結果は、和人10館が破れ、残った和人2館しか残らずアイヌとの戦いに敗れました。

 

その後、上ノ国の館主がコシャマイン酋長父子を射殺し、戦いが終結したと言われています。

 

その55年後にも再びアイヌとの戦いに敗れたと記されていますが、

 

その後の記録はなく、函館地方は完全に松前藩の支配下に置かれ

 

アイヌが記録に登場することがなくなったと言われています。

 

 

 

 

一覧を見る »

PAGE TOP