2025年06月23日 スタッフブログ @>
佐々木です。
戦後に再開した北洋漁業は、公海上を自由に行き来できたため
急速に規模を拡大し、好調な漁獲高を誇っていました。
しかし、1956年(昭和31年)に入り、当時のソ連は
北洋漁業の漁場を含む水域での漁獲規制を目的とした
「ブルガーニン・ライン」を設定し、同年5月に
「日ソ漁業条約」が締結され、これにより
北洋漁業(サケ・マス漁)は、条約に基づき毎年開かれる
「日ソ漁業委員会」で決められた漁獲割当量の規制のもとで
操業することとなり、ソ連側の日本に対する規制が次第に強化され
函館の北洋漁業は規模を縮小していく事となります。。。(つづく)