函館市の産業の歴史 北洋漁業

2025年06月22日 スタッフブログ

佐々木です。

 

50歳代の私にとって、函館の北洋漁業はうっすらと幼少期の

 

記憶に残っています。

 

家族が港に集まり、お父さんの出向を涙を流しながら見送る姿、

 

紙テープを船内の夫に投げて、ちぎれるまで持つ奥さんの姿、

 

友人家族の感動的な出向を何度か見たことがあります。

 

そんな北洋漁業にも歴史がありまして、今日は戦後のところを調べましたので

 

書いていきたいと思います。

 

敗戦直後の1945年(昭和20年)9月、占領軍は

 

「マッカーサーライン」を設定したことから、

 

日本の漁船が操業できる海域を狭くしました。

 

北洋漁業の漁場は、そのラインの外であったため

 

戦前や戦中に函館を拠点に北洋漁業を独占し発展していた

 

ニチロ漁業株式会社(現マルハニチロ)は漁場を失い

 

その城下町と言われた函館市の経済は大打撃を受けたそうです。

 

その後、1952年(昭和27年)4月、サンフランシスコ平和条約により

 

マッカーサーラインが撤廃され、日本の漁船は公海での操業が可能となり

 

試験操業後の1954年(昭和29年)から本格操業が開始され

 

世界でも有数な経済的に豊かな都市、函館になっていくための

 

一大産業が再び開始される事となりました。。。。。。(つづく)

 

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